【読書】相手を理解する難しさ『謝るなら、いつでもおいで』

2004年に起こった、佐世保小6女児同級生殺害事件を扱ったノンフィクション作品です。

謝るなら、いつでもおいで

謝るなら、いつでもおいで

 

 

著者は事件発生当時、被害者女児の父親である新聞社支局長のもとで働いていた、駆け出しの新聞記者であった。支社長の家族3人は新聞支社の上のフロアに居を構えており、著者は被害者女児とも一緒にご飯を食べることがあったほど公私共に親しい仲であり、事件の中心から非常に近い立場で書かれているという点で、本書は他のノンフィクションにはない臨場感や生々しさを醸し出している。

 

二部構成となっており、第一部では事件当時には語られることのなかった上司と部下という側面から見た事件の裏側、そして残酷にも一つの記事として家族同然につきあっていた女児の事件を扱わないといけない記者としての葛藤などが赤裸々に綴られており、第二部では、事件発生から10年が経った(本書の発売年が2014年)時点で、被害者の父親、加害者の父親、被害者の兄からのインタビュー内容が書かれている。

 

事件のあらましを詳しく覚えていなかったわたしは第一部を読んで概要を把握したが、小学校6年生が同級生を殺害するというショッキングな内容に胸がえぐられるような思いになり、ページをめくるのが辛い本であった。さらに、子供を持つ父親という観点から読み進めていくうちに、この事件の発端となったであろう出来事に驚愕した。

 

始まりは、子供なら誰でもが経験するようなほんの些細なもめ事レベルの話しなのである。そこに友人関係や趣味、部活動の問題など、(大人からすると)非常に些細な問題が積み重なっていき、最終的に相手を殺めるまでに至ってしまう。

 

心が発展途上にある子供のうちは自分の気持ちを正確に伝えることができないため、親は彼らの言葉以上のことを汲み取り、理解する必要があると思う。しかし、本当のところ、われわれは自分の子供のことをどれくらい理解できているのだろう。親が一方的にわかっているつもりになっているだけで、子供から言わせるとちっとも理解できていないのかもしれない。このように、思春期の子供の難しさを残された家族も吐露しており、育児をする身として複雑な思いで読み終えた。

 

事件当時、加害者となった女児は社会的な保護のもとであらゆる情報が遮断され、遺族たちが10年後のインタビューに答えた時点でも未だに謝罪をしていないという。その上で、最後の最後に遺族が語った「謝るなら、いつでもおいで」というインタビュー内容を読み、遺族がそこに至るまでの心境と費やした時間、相手(加害者)を思う気持ちを勝手ながら想像するに、いろいろと考えさせられる一冊であった。子供と携わるすべての人に読んでもらいたい本です。