『頭は「本の読み方」で磨かれる』を読みました

 

 2016年1冊目。

 

初めて茂木健一郎氏の本を読みました。内容はさておき、文章が非常に読みやすいというのが第一印象です。逆に、ライトすぎる文章が嫌いという方もいると思いますが、気軽に読める雰囲気は読書をする上でとても重要だと思います。

  

本のテーマはタイトルからわかるとおり、最近はやりの「読書」に関するもの。読書歴の長い方がいまさら「読書」についての本を読むことに、どういった価値があるのだろうかと思われるかもしれませんが、新しい気づきも多く、脳科学者の観点からどのようなことが書かれているのか気になり手に取りました。

 

内容については多くの読書本に書かれていることと重複する内容も多いため、自分が新鮮だと思った部分や初心を忘れるべからず的なところを。

 

  • 「本を読む」ということは、「自分の経験を増やす」こと(22ページ) 

短い人生、あれもしたいこれもしたい、と思いますが時間がないのが人間の泣き所。ならば、本という安価なコストを支払い、他の人の体験や思想を入手するのが最良の方法ではないか、ということに学生時代に気が付きました。これがわたしの読書をはじめるきっかけであり、原動力です。読書を始めるきっかけとして、このことは様々な本で書かれていますが、「初心を忘れるべからず」という意味合いで、思わず線を引いてしましました。

 

  • 時間を経て「古典」と呼ばれるようになった本は、文章表現の中でも最高峰(34ページ)

古典とか純文学と呼ばれるジャンルには今まで何度か挑戦してきましたが、ことごとく敗北してきました。その理由は読みづらいから。そういった文章を読んでいるとと、頭の中でイメージし辛くなり、次第に手を出さないジャンルになっていく…というのがお決まりのパターン。ですが、茂木さんは脳科学者という立場から、あえてそういった難解な古典作品を読んで脳を鍛えろと言っています。そして、古典作品の注目すべきは文章表現にあり!とも。わたしが嫌だなと思っていた文章表現そのものに古典の価値はあるのだ、という新たな光を与えてくれた一文。

 

  • さまざまな表現を知るということは、自己表現が上手くできているということにつながります(35ページ)

色々な文章表現を目にすることで、自分の中のボキャブラリーを増やしていく。そして、それらをアウトプットしていくことによって自分の幅を増やしていく。知識を得るだけが読書のいい点ではないという気づき。

 

  • 「雑談する力」というのは、人間の持つ「圧倒的な知性」

人工知能に触れている章で、人間だけが持っている「すごい能力」の一つが「雑談する力」であると言っている。現段階で、人工知能が人間と自然な会話を行うことは技術的に不可能とのこと。年末年始に人工知能に関する本を2冊読んでおり、個人的にとてもタイムリーな話題であること、人工知能に食い扶持を奪われないようにビジネスマンとしてどう生きていけばよいか、今後数十年を生きていくうえでとても大切なテーマだと思う。

 

  • 気が乗らない本はサッと読み飛ばして、いさぎよく次の本に行く

これも読書本にたくさん書かれていること。読書を始めたばかりの方や読書にお金を多くかけられない学生などに多いと思われる症状です。本を買って読んでみたけど、ちっとも頭に入ってこない、思っていたのと少し、違うなど。だけど、お金を出してせっかく買ったからには最後まで読まないともったいない。

わたしも、いまだに難解な本に出会うと、無理して読まなくちゃいけないんだと頭をよぎることがたまにあります。こういった苦行の末に読んだ本はたいして実にならない、というのが経験上のお話。学術書などは例外ですが、そんなに苦労している時間があるなら、別の本を買い、気持ちよく読書する方が合理的です。だたし、読めないとあきらめた本でも、時間が経つ、もしくは一定の知識レベルに到達することで読めるようになることもあるので、積読しておきましょう。そんな本がわたしの本棚の一角を占めています…

 

こういった読書本を読むと、参考になるのは文末に書かれている「本書内で紹介した本の一覧」の部分。開拓していないジャンルの代表作品などがあげられており、新たな読書の方向性を示してくれます。読む読まないは別にして、写真を撮りEvernoteに残しておきます。

 

古典をたくさん読む年となりますよーに。